こなすの部屋

社会学という視点から、暮らしや健康について考えたことを記したページです。何気なく当たり前だと思っていることに、「ちょっと待った!そうではないのではないか」と疑問を投げかける、そういう態度が「社会学的」だと思います。今日の医療や福祉に関心のある方に気軽にのぞいてもらいと思います。

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Sun, Nov 1, 2009

余命6ヶ月

 2週間前、あまりにもクリアで衝撃的な夢を見ました。がんで余命6ヶ月と宣告されたのです。

 診察室はなぜか産科の隣にあり(きっとそれは私が入院したのがお産のときだけだったからでしょう)、赤ちゃんの泣き声が聞こえてきます。はじめ医師は何も言わなかったのですが、看護師さんが私の余命が長くないのを察知して、「先生、分かっているんなら、はっきり言ったほうがいいですよ」と言ってくれたおかげで、医師は「6ヶ月」という具体的な予測を教えてくれました。

 私がすぐに何を考えたかというと、あと何回家族で旅行にいけるだろうか、ということでした。我が家はみな旅行好きで、旅行で家族との思い出を作りたいと思いました。実際に11月にはオーランドに行って、ディズニー・ワールドやユニバーサル・スタジオを訪ねることになっていますし、来年2月には日本に行くことになっています。夢の中でも、オーランドはいけるだろうけど、日本にいくまで命があるだろうか、などと考えていました。

 次に考えたのは、自分のキャリアのことでした。アメリカで研究しているとはいえ、テニュア付の確たるポジションというわけではありません。いわばキャリアを重ねてゆく途中で中断を余儀なくされる形になってしまうのです。そこで、残念ですが今している研究を限られた時間で区切りがつく形で残したいと思いました。

 家族と仕事、以上の二つがまず私が最初に考えたことです。この二つのことを診察室でとっさに考えました。

 そして帰り道、深い悲しみが襲ってきました。それはもう立っていられなくなるくらい。でも、家族が支えてくれました。そこで目が覚めました。あまりにもリアルな夢だったので、目が覚めてからもどきどきしていました。

 そして思いました。やはりステージ理論は違うと。悲嘆−絶望―怒り−受容。そんな画一的に変わってゆくものではない。以前、やはり余命数ヶ月と宣告された男性がまず考えたことは、水虫を治そうということだったと聞いたことがあります。お棺に入ったとき、知人に水虫を見られるのは恥ずかしいから、というのが理由でした。余命が何ヶ月だろうが、思いつくことはその人にとってすごく日常的なことなのだと思います。

 この夢が正夢にならないことを願いますが、とても貴重な夢だったので見てよかったと思いました。

作成者 conasu [ コメント : 3]
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